第六代教授
土屋 滋
(H17年就任〜
23年退職)
<略 歴>
昭和47年 3月 |
東北大学医学部卒業 |
昭和47年 7月 |
東北大学医学部附属病院医員 |
昭和47年10月 |
米沢市立病院 |
昭和48年11月 |
東北大学医学部附属病院医員 |
昭和53年 5月 |
東北大学医学部附属病院助手 |
昭和54年 9月 |
東北大学医学博士 |
昭和60年 1月 |
東北大学抗酸菌病研究所講師 |
昭和60年 7月 |
東北大学抗酸菌病研究所附属病院小児科医局長 |
平成60年12月 |
東北大学抗酸菌病研究所助教授 |
平成 5年 4月 |
東北大学加齢医学研究所助教授
東北大学加齢医学研究所附属病院小児科医局長 |
平成 6年 6月 |
東北大学加齢医学研究所附属病院小児腫瘍科医局長 |
平成10年 6月 |
東北大学加齢医学研究所教授
東北大学加齢医学研究所附属病院小児腫瘍科長 |
平成13年 5月 |
東北大学医学部附属病院輸血部長 |
平成17年12月 |
東北大学大学院医学系研究科教授 |
土屋滋教授は、昭和47年に東北大学医学部を卒業しました。米沢市立病院で小児科の初期研修を行った後、昭和49年から3年間、東北大学細菌学教室において免疫学の基礎の手ほどきを受けました。細菌学教室から小児科学教室に戻った直後に、本邦初のアデノシンデアミネース欠損症という重症複合免疫不全症に出会い、それが契機となり免疫不全症の診断と治療がライフワークの一つになりました。もう一つの柱は、小児悪性腫瘍の治療研究です。全国規模の小児白血病および固形腫瘍の集学的治療研究グループに早くから所属し、我が国の小児がん患者の化学療法による治療成績の向上に多大な貢献を致しました。
土屋教授は、昭和57年から59年の2年間、米国ワシントン州シアトルのFred Hutchinsonがん研究所に留学し、箱守仙一郎先生を師とし、腫瘍細胞の糖鎖異常に関する研究を行いました。当時のFred Hutchinsonがん研究所には1990年ノーベル賞受賞者のEDトーマス博士が現役で活躍されており、骨髄移植の話を直接伺うことができたことが、その後造血幹細胞移植医療に集中していく大きなきっかけとなっています。留学から帰国後、平成2年から骨髄移植推進財団中央調整委員(現東北地区代表協力医師)として、我が国の骨髄バンク事業に創成期から関わって来たこと、東北地区で唯一のNPO法人宮城さい帯血バンクを立ち上げ、運営して来たことは、留学当時まさに世界の骨髄移植をリードしていたシアトルの移植グループの活気にその原点を求めることができます。
土屋教授は、小児科領域における造血幹細胞移植のリーダーとしてのみではなく、造血幹細胞を用いた様々な先進医療にも積極的に取り組んで参りました。特に東北大学で発見されたγc鎖の遺伝子治療では、仏国ネッカー小児病院A Fischer先生、英国Great Ormond Street 病院A Thrusher 先生、菅村和夫先生と共同で、国際的な研究体制を敷いて準備を致しました。残念ながら、遺伝子挿入変異による白血病発症という有害事象で計画は頓挫してしまいました6しかし、ヒト造血幹細胞への遺伝子導入の技術は、NOGマウスへの、白血病キメラ遺伝子導入ヒト造血幹細胞移植による白血病発症モデルの作製や、免疫不全症患者由来iPS細胞による免疫不全発症モデルの作製といった新しい実験系に生かされており、今後の成果が期待されています。
最後に土屋教授の研究成果の中でどうしても触れておかなければならないことがあります。それは現在広く世界中で使用されている急性単球性白血病細胞株THP-1の樹立です。1980年lnt J Cancerに掲載された論文は、引用回数が1,116回、1982年Cancer Res に掲載された論文は412回にのぼります。THP-1という名称は、Tohoku University, Department of Pediatrics に由来しています。どこに出しても恥ずかしくない、土屋教授の誇るべき業績と思われます。
「平成22年度 退職教授最終講義」配布資料より引用
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