東北大学小児科は勅令第137号をもって1917年(大正6年)9月12日に開講し、翌年に佐藤彰が初代教授として着任しました。2017年(平成29年)9月には開設100周年を迎え、2022年に8代目の教授として菊池敦生が着任し現在に至ります。
歴代教授
初代:佐藤 彰
大正7年〜昭和23年
初代:佐藤 彰

初代教授
佐藤 彰
T7年就任〜S23年退官
佐藤彰教授は、大正元年(1912)東京帝国大学医科大学医学科を卒業、恩賜銀時計を拝受、ついで同大学小児科学教室に勤務の傍ら、医化学教室で研修した。同5年小児科学研究のため米国ボルチモア市ジョンズ・ホプキンス大学に留学。同6年留学国に英国、フランスおよびスイスを追加。同7年帰朝とともに東北帝国大学医科大学教授となり、小児科学教室を創設した。昭和23年同大学を停年退官。
佐藤教授の仙台での最初の研究は白血球ペルオキシダーゼ(以下P)染色法の考案であった。関谷外吉と共に、後に佐藤・関谷反応、P反応(銅法)、または東北小児科法と呼ばれた方法を開発した(1925)。この染色法は欧米各国の血液学教科書にも記載され、永年にわたって国際的にも高い評価を受けた。
停年退官後も研究を続け、晩年(1955、1965)にいたり Chediak‐Higashi diseaseおよび Arakawa‐Higashi syndromeという新冠名疾患または症候群を提案し、教室の名声を一層高めた。
艮陵同窓会百二十年史 (1998) より引用
2代:佐野 保
昭和23年〜昭和35年
2代:佐野 保

第二代教授
佐野 保
S23年就任〜35年退官
佐野保教授は、昭和23年(1948)10月13日、長崎医科大学から東北大学小児科教室の第二代の教授として着任した。11年有余、150名余の教室員と共に、戦後の混乱と貧困の苦しい時代に、研究、教育、診療と小児保健活動に全力を注ぎ教室を再建した。昭和35年(1960)3月停年退職した。
金沢大学助教授時代、泉仙助小児科教授の下でくる病の研究を始めた。昭和23年秋着任後間もなく、外来診療でくる病児を発見し、東北地方も濃染地帯であることを見抜き、宮城県衛生部と協力し、2歳以下の乳幼児健診を実施した。昭和24年から5年間に約4万人のX線検査をして、14.7%(重症2.4%)を本症と診断したが、特に栄養失調児に罹患率が高く、重症型が多いことが判明したので、「栄養失調性くる病」と命名し、小児科学会に問題を提起した。
昭和27年(1952)、産婦人科の新生児が、インフルエンザ様疾患にかかり多数死亡した。病理学、細菌学の各教室との共同研究で新しいウイルスが分離され、「新生児肺炎ウイルス タイプ仙台」と命名され報告し、注目された。
[艮陵同窓会百二十年史 (1998) より引用]
3代:荒川 雅男
昭和35年〜昭和52年
3代:荒川 雅男

第三代教授
荒川 雅男
S35年就任〜52年退官
荒川雅男教授は、昭和12年(1937)東北帝国大学医学部を卒業後、直ちに東北帝大小児科学教室に入局、初代佐藤彰教授に師事した。昭和22年(1947)青森医専教授として弘前に赴任、次いで弘前大教授を経て昭和35年(1960)4月、佐野 保教授の後任として仙台に戻り、以後17年間東北大学小児科学講座を主宰した。その間、160名に及ぶ教室員を指導し、全エネルギーを研究、教育に打ち込んだ。昭和52年(1977)3月停年退官。
ビタミン・栄養に関する研究は荒川教授のライフワークであり、弘前時代は彼地の風土病「シビ・ガッチャキ」に取り組み、同病がビタミンB2及び蛋白質欠乏に基づく栄養障害であることを明らかにした。東北大に戻ってからもB2、B12、葉酸に関する研究を続け、先天性葉酸代謝異常症を発見し、乳児期の葉酸代謝障害が脳障害の原因となるという新説を提示した。
先天性代謝異常の研究をおしすすめ、アミノ酸尿のスクリーニングを積極的に実施し、高バリン血症、トリプトファン尿症等の新しい代謝異常症を発見し、高グリシン血症の病態を証明した。
また小児消化器疾患に関する研究によって、冬期に流行する乳児下痢症(白色便下痢症)の起因ウイルスがロタウイルスであることを証明した。
[艮陵同窓会百二十年史 (1998) より引用]
4代:多田 啓也
昭和52年〜平成5年
4代:多田 啓也

第四代教授
多田 啓也
S52年就任〜H5年退官
多田啓也教授は、昭和29年(1954)東北大学医学部を卒業後、東北大学小児科へ入局し、第二代佐野保教授、次いで第三代荒川雅男教授に師事した。昭和46年(1971)2月請われて大阪市立大学小児科教授に栄転、次いで昭和52年(1977)8月、荒川教授の後任として仙台に戻り、以後16年3か月間、東北大学小児科学教室を主宰した。その間207名の教室員を指導し、研究、教育に全力を尽くした。平成5年(1993)10月退官。
特にライフワークである先天性代謝異常症の研究は他大学の追随を許さないところとなり、世界をリードする研究成果が次々と発表された。
高グリシン血症の研究は血液・髄液中のグリシンの著増を特徴とし、重篤な脳障害を呈する小児の難病であるが、先ず本症がグリシン開裂酵素の欠損に基づくことを初めて証明した。次いで本症の原因遺伝子を同定、単離し、DNAレベルの異常を証明した。本症の研究を通して、それまで生理的意義が不明であったグリシン開裂酵素がヒトおよび動物におけるグリシン代謝の主要経路であること、特に脳において神経伝達物質としてのグリシンの濃度調節にこの酵素が重要な役割を担っていることを明らかにした。
また、糖尿病lb型の病因がミクロソーム膜のグルコース-6-燐酸輸送機構の欠損であることを初めて証明した。これは細胞内小器官の膜輸送系の障害に基づく遺伝疾患として最初の例であり、遺伝病に新しい疾患カテゴリーを提示したものである。
[艮陵同窓会百二十年史 (1998) より引用]
5代:飯沼 一宇
平成6年〜平成17年
5代:飯沼 一宇

第五代教授
飯沼 一宇
H6年就任〜17年退職
飯沼一宇教授は昭和16年仙台市でお生まれになりました。宮城県立仙台第一高等学校をご卒業になり、その後の経歴は上記のとおりです。
昭和42年に東北大学医学部を卒業後、1年間のインターン(インターン制度最後の年)を東北大学医学部附属病院で行った後、東北大学医学部小児科教室(荒川教授)へ入局されました。
入局後一貫して小児神経学の臨床および研究に従事してきました。当時唯一とも言える脳の検査手段であった脳波を利用した小児の脳発達の研究、また荒川教授のライフワークであった先天代謝異常の脳機能の研究を続けられました。昭和54年にボストン小児病院のロンブローソ教授のもとに留学され、神経生理学的手法を用いた脳発達の研究を行いました。帰国後、丁 度東北大学にPETが導入された時であり、いち早くその応用に参加し、小児である故の困難さを乗り越えながらPET研究、そして同時期から発展してきたMRIなどの各種画像診断法の臨床応用に尽力されました。小児神経領域の画像解析では指導的立場におられます。
平成5年に日本小児神経学会の理事となり、以後学会の中枢でご活躍なさっています。平成13年には第104回日本小児科学会、14年には第44回日本小児神経学会、15年には第37回日本てんかん学会を主催され、いずれも企面運営のすぱらしさを絶賛されました。
平成15年からは、日本小児神経学会の理事長として運営にご尽力されています。
「平成16年度 退職教授最終講義」配布資料より引用
昭和42年 3月 | 東北大学医学部医学科卒業 |
昭和42年 4月 | 東北大学医学部附属病院にて臨床修練 |
昭和43年 4月 | 東北大学医学部附属病院小児科入局 |
昭和47年10月 | 東北大学医学部附属病院助手 |
昭和50年12月 | 東北大学医学部講師 |
昭和52年 9月 | 医学博士(東北大学:医第1011号) |
昭和54年 4月 | 米国Massachusetts州 Harvard Medical School留学 |
昭和63年 5月 | 東北大学医学部助教授 |
平成 6年 7月 | 東北大学医学部教授 |
平成15年 5月 | 日本小児神経学会理事長 |
6代:土屋 滋
平成17年〜平成23年
6代:土屋 滋

第6代教授
土屋 滋
H17年就任〜23年退職
土屋滋教授は、昭和47年に東北大学医学部を卒業しました。米沢市立病院で小児科の初期研修を行った後、昭和49年から3年間、東北大学細菌学教室において免疫学の基礎の手ほどきを受けました。細菌学教室から小児科学教室に戻った直後に、本邦初のアデノシンデアミネース欠損症という重症複合免疫不全症に出会い、それが契機となり免疫不全症の診断と治療がライフワークの一つになりました。もう一つの柱は、小児悪性腫瘍の治療研究です。全国規模の小児白血病および固形腫瘍の集学的治療研究グループに早くから所属し、我が国の小児がん患者の化学療法による治療成績の向上に多大な貢献を致しました。
土屋教授は、昭和57年から59年の2年間、米国ワシントン州シアトルのFred Hutchinsonがん研究所に留学し、箱守仙一郎先生を師とし、腫瘍細胞の糖鎖異常に関する研究を行いました。当時のFred Hutchinsonがん研究所には1990年ノーベル賞受賞者のEDトーマス博士が現役で活躍されており、骨髄移植の話を直接伺うことができたことが、その後造血幹細胞移植医療に集中していく大きなきっかけとなっています。留学から帰国後、平成2年から骨髄移植推進財団中央調整委員(現東北地区代表協力医師)として、我が国の骨髄バンク事業に創成期から関わって来たこと、東北地区で唯一のNPO法人宮城さい帯血バンクを立ち上げ、運営して来たことは、留学当時まさに世界の骨髄移植をリードしていたシアトルの移植グループの活気にその原点を求めることができます。
土屋教授は、小児科領域における造血幹細胞移植のリーダーとしてのみではなく、造血幹細胞を用いた様々な先進医療にも積極的に取り組んで参りました。特に東北大学で発見されたγc鎖の遺伝子治療では、仏国ネッカー小児病院A Fischer先生、英国Great Ormond Street 病院A Thrusher 先生、菅村和夫先生と共同で、国際的な研究体制を敷いて準備を致しました。残念ながら、遺伝子挿入変異による白血病発症という有害事象で計画は頓挫してしまいました6しかし、ヒト造血幹細胞への遺伝子導入の技術は、NOGマウスへの、白血病キメラ遺伝子導入ヒト造血幹細胞移植による白血病発症モデルの作製や、免疫不全症患者由来iPS細胞による免疫不全発症モデルの作製といった新しい実験系に生かされており、今後の成果が期待されています。
最後に土屋教授の研究成果の中でどうしても触れておかなければならないことがあります。それは現在広く世界中で使用されている急性単球性白血病細胞株THP-1の樹立です。1980年lnt J Cancerに掲載された論文は、引用回数が1,116回、1982年Cancer Res に掲載された論文は412回にのぼります。THP-1という名称は、Tohoku University, Department of Pediatrics に由来しています。どこに出しても恥ずかしくない、土屋教授の誇るべき業績と思われます。
「平成22年度 退職教授最終講義」配布資料より引用
昭和47年 3月 | 東北大学医学部卒業 |
昭和47年 7月 | 東北大学医学部附属病院医員 |
昭和47年10月 | 米沢市立病院 |
昭和48年11月 | 東北大学医学部附属病院医員 |
昭和53年 5月 | 東北大学医学部附属病院助手 |
昭和54年 9月 | 東北大学医学博士 |
昭和60年 1月 | 東北大学抗酸菌病研究所講師 |
昭和60年 7月 | 東北大学抗酸菌病研究所附属病院小児科医局長 |
平成60年12月 | 東北大学抗酸菌病研究所助教授 |
平成 5年 4月 | 東北大学加齢医学研究所助教授 東北大学加齢医学研究所附属病院小児科医局長 |
平成 6年 6月 | 東北大学加齢医学研究所附属病院小児腫瘍科医局長 |
平成10年 6月 | 東北大学加齢医学研究所教授 東北大学加齢医学研究所附属病院小児腫瘍科長 |
平成13年 5月 | 東北大学医学部附属病院輸血部長 |
平成17年12月 | 東北大学大学院医学系研究科教授 |
7代:呉 繁夫
平成23年〜令和3年
7代:呉 繁夫

第7代教授
呉 繁夫
平成23年〜令和3年
呉繁夫教授は小児難病の病態解明研究で多くの成果を挙げた。小児難病の多くは、希少遺伝性疾患であり、この研究を通じ、小児難病3疾患の病因遺伝子特定に成功した。1)小児脳梗塞の主因となる「もやもや病」(指定難病 22)の発症に関わる RNF213 遺伝子を特定し、遺伝学的背景を明らかにすると共に、発症リスクを評価する遺伝子検査の開発を行った。2)小児代謝性疾患の「高グリシン血症」(指定難病321)の原因となるグリシン開裂酵素の原因遺伝子を特定し、その病態解明に道を拓き、遺伝子診断を可能にした。3)小児難治性腎疾患である「ステロイド依存性ネフローゼ症候群」(指定難病 222)のゲノム解析により、病因となる6遺伝子を特定し、これらは腎足細胞中のシグナル伝達経路を構成することを発見した。この研究は、副作用の大きいステロイドに代わる新たな治療薬開発に標的分子を示した。
また、小児難病のゲノム解析を推し進める過程で、4つの新規疾患概念の確立に至った。1)テトラヒドロビオプテリン(BH4)反応性フェニルケトン尿症:代表的遺伝性代謝疾患である「フェニルケトン尿症」(指定難病 240)の約 1/3 の症例に BH4 内服の有効性を見出した。厳しい食事制限が唯一の治療であったこの難病に経口薬治療の道を拓き、現在世界で 7 千名以上の患児が BH4 治療の恩恵を受けている。2)遺伝性ガラクトース血症 IV 型:母乳やミルクに含まれる乳糖由来のガラクトースを代謝する経路の障害で発生し、これまで I~III 型(I 型は指定難病 258)が知られていたが、これに該当しない症例の病因遺伝子 GALM を特定し、IV 型と命名し、新規治療法を開発した。3)MAPK8IP3 変異による両麻痺と精神発達遅滞を呈する症候群:神経軸索輸送を担う分子の欠損により発生する新規疾患の概念を確立した。4)ATP11A 遺伝子の変異による精神運動発達遅滞と退行を示す症候群:細胞膜を構成する脂質二重膜を構成するリン脂質の世界初の代謝障害であることを見出した。以上、我が国の指定難病 338 疾患中4疾患で病因遺伝子同定などのその病態を解明し、更に小児科学書に記載のない小児希少難病 4 疾患の疾患概念を確立した。
以上の業績により、東北大学医学部奨励賞・金賞、日本先天代謝異常学会賞、文部科学大臣表彰科学技術賞などを受賞した。呉教授の小児難病や病因・病態解明の研究は、すべて患児のゲノム解析から出発している。解析開始時点ではどの患児で新しい病態の解明や新規疾患に繋がるかは分からない。出会った多くの患児の解析を進める中で初めて新知見の存在が分かってくる、という意味では「犬も歩けば棒に当たる」研究であろう。そして、ゲノム診断を通じて患児に生命の謎を教えてもらう点で”Patients lead you.”の研究といえよう。
「令和3年度 退職教授最終講義」配布資料より引用
昭和57年 3月 | 東北大学医学部卒業 |
昭和57年 4月 | 東北大学医学部小児科学教室へ入局 |
昭和57年 5月 | 仙台市立病院小児科・研修医(昭和59年 3月まで) |
平成12年10月 | 東北大学大学院医学系研究科小児医学講座遺伝病学分野・助教授 |
平成20年10月 | 東北大学大学院医学系研究科小児病態学分野・准教授 |
平成23年 6月 | 東北大学大学院医学系研究科小児病態学分野・教授(令和3年 12月まで) |
平成24年 4月 | 東北大学病院・副病院長(平成26年3月まで) |
平成26年 4月 | 東北メディカル・メガバンク機構・副機構長(令和3年 12月まで) |
令和4年 1月 | 東北大学大学院・希少難病ゲノム解析共同研究講座・客員教授 |
これまで、日本学士院賞受賞者 [1989年(平成元年)日沼頼夫 成人T細胞白血病のウィルス病因に関する研究、1993年(平成5年)多田啓也 高グリシン血症に関する研究] 、文化勲章受賞者 [2009年(平成21年度)日沼頼夫 成人T細胞白血病のウィルス病因に関する研究] を輩出しています。
また2006年に創設された日本小児科学会・小児科学会賞におきましても、
- 藤原哲郎(第2回 2007年「新生児呼吸窮迫症候群(RDS)に対する人工サーファクタント補充療法」)
- 多田啓也(第4回 2009年「高グリシン血症に関する研究—病態を通して生理を知る」)
- 東音高(第5回 2010年「Chediak Higashi症候群の発見」)
と3人が受賞し、東北大学小児科が日本の小児科医療に果たしてきた役割の大きさが伺われます。
2013年(平成25年)2月1日、東北大学病院が「小児がん拠点病院」に指定されました。「小児がん拠点病院」は厚生労働省が全国で15病院を指定するもので、東北大学病院は東北ブロックの拠点となります。連携病院である宮城県立こども病院と協調し、これからも東北地方の小児がん診療を充実させていきます。