第二代教授
佐野 保
(S23年就任〜
35年退官)
佐野保教授は、昭和23年(1948)10月13日、長崎医科大学から東北大学小児科教室の第二代の教授として着任した。11年有余、150名余の教室員と共に、戦後の混乱と貧困の苦しい時代に、研究、教育、診療と小児保健活動に全力を注ぎ教室を再建した。昭和35年(1960)3月停年退職した。

金沢大学助教授時代、泉仙助小児科教授の下でくる病の研究を始めた。昭和23年秋着任後間もなく、外来診療でくる病児を発見し、東北地方も濃染地帯であることを見抜き、宮城県衛生部と協力し、2歳以下の乳幼児健診を実施した。昭和24年から5年間に約4万人のX線検査をして、14.7%(重症2.4%)を本症と診断したが、特に栄養失調児に罹患率が高く、重症型が多いことが判明したので、「栄養失調性くる病」と命名し、小児科学会に問題を提起した。

昭和27年(1952)、産婦人科の新生児が、インフルエンザ様疾患にかかり多数死亡した。病理学、細菌学の各教室との共同研究で新しいウイルスが分離され、「新生児肺炎ウイルス タイプ仙台」と命名され報告し、注目された。

[艮陵同窓会百二十年史 (1998) より引用]
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